近江八幡 里山ハイキング コースガイド

近江八幡の歴史と景観

近江八幡の歴史と景観

八幡山縦走路の歴史散策と近江八幡

八幡山は、市街地の北に位置し、東西約1㎞、南北約3㎞の山地で、標高283.8mです。ツルが翼を広げて飛ぶさまに似ていることから、鶴翼山とも呼ばれ親しまれています。周辺には八幡掘、日牟礼八幡宮(ひむれはちまんぐう)などの史跡や観光施設が多数あり、市街からの観光客が多く訪れています。

八幡山城址と豊臣秀次
八幡山城は1585年(天正13)、18歳にして近江43万石の領主に任ぜられた豊臣秀次(豊臣秀吉の甥)が築城した城です。本丸、二の丸、北の丸、出丸からなる城郭を持ち、南側の山麓には豊臣秀次の居館や重臣たちの邸宅があったとされています。屋敷群を囲む尾根には、石垣を伴った曲輪と呼ばれる遺構が残っており、この曲輪と築城時に開削されたと伝わる八幡掘が城の総構えを形成していたと考えられます。また、中世の城の形態である山城の形を取る最後の城として歴史的価値が高いとされています。築城から5年後(1590年)、秀次は100万石を領し、清州へ移封となり京極高次が城主となりましたが、1595年、秀次が自刃後に八幡山城は廃城となりました。2000年度(平成12年度)から八幡山城の本格的な調査が開始され、豊臣秀次居館跡からは金箔瓦の破片(約200点)などが出土しています。
豊臣秀吉の姉(とも)の子。秀吉の養子となり関白職を継ぎましたが、後に秀頼が産まれ、後継者を巡る争いにより自害させられました。秀次は自由商業都市としての発展を目指して楽市楽座を施行しました。また、城の防御である八幡堀を琵琶湖とつなぎ、往来する船を寄港させるなど、わずか5年の八幡山城在城の間に、近江八幡を商いのまちとしての基盤を築きました。若くして悲運の最期を遂げた秀次ですが、近江八幡の開町の祖として市民に慕われており、彼の功績を偲んで八幡公園には秀次の銅像が建てられています。
北之庄城址(岩崎山城址)と歴史
近江八幡の北部、八幡山(鶴翼山)山塊の一峰上に立地するこの城跡は、城主を確定する同時代史料が現在ではわかっていません。江戸時代の史料には近江守護佐々木六角氏の付城として書かれています。
最高所の上段曲輪は1辺約50mの方形の土塁を持つ曲輪で、やや古い形式でありますが、南側の高さ約6mの堀切や、高さ4mの土塁を持つ下段虎口などは、織田信長の近江侵攻以降の城郭に見られる規模のもので、この時期差については今後さらに検討を進める必要があります。
周辺の見どころ

八幡山へのアクセス

  • 名神高速:竜王インターチェンジから国道477号線北上、国道8号線(西横関交差点)を彦根方面に。友定交差点を県道421号線を北上
  • 国道8号線:友定交差点を県道421号線を北上
  • 県道559/25号線(湖周道路・さざない街道):渡合橋を南下すぐで百々神社、さらに南下し多賀交差点を西に
  • 県道421号線(八風街道):国道8号線(友定交差点)を渡りさらに北上し、多賀交差点を西に
  • 市営駐車場(※それぞれの登山口周辺には駐車場がありませんので、バスに乗り換えてください。)
    あきんどの里駐車場
    Tel.:0748-32-6333
    小幡観光駐車場
    Tel.:0748-33-2411

観光情報

観光物産協会
Tel.:0748-32-7003
市の観光情報
Tel.:0748-33-3111


観光案内所

駅北口
Tel.:0748-33-6061
白雲館
Tel.:0748-32-7003
あきんどの里
Tel.:0748-32-6333